Читать книгу Die großen kosmischen Lehren des Jesus von Nazareth an Seine Apostel und Jünger, die es fassen konnten - Gabriele - Страница 9
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私たちは、大改革の時代に生きている。神の霊が恵みを与えるのである。私たちは、秩序の段階から神の重大なるものの段階に至る、内なる道を知る。私たちは、さらに絶対法則、ナザレのイエスによる大いなる宇宙の教えを受け取る。そうして、私たちの霊的な遺産に浸ることができる。私たちは、魂の深くで、私たちの故郷である生命の中へと感じ入ることができる。そうすることで、私たちが真に何者なのかを知る。
天からの宝が私たちに与えられている。私たちがその宝を受け取る準備ができているならば、私たちはまたそれを掲げるだろう。宝とは神であり、神、生命は私たちの中にあるのだから。
神に近づきたいなら、私たちは神の法則を再び習得し、応用しなければならない。そうしなければ、私たちは大いなる霊、神、永遠なるもの、絶対なるものと一つになることはできない。
私たちは父なる神に祈りを捧げる。私たちは父なる神、救世主たるキリスト、そして天の霊的存在の声を聞く。多くの人にとって神は一つの言葉にすぎない。それは抽象的なもので、神はいまだ遠くに離れていると感じる。何故、多くの人がいまだ 神から遠くに離れていると感じるのであろうか? それは、私たちがいまだ、万物の創造者たる神が私たちに贈ったものを自覚していないためである。神は私たちに不滅性を与えた。何故なら神が永遠不朽であるから。神は私たちにあらゆる宇宙の光を贈った。何故なら私たちは神の遺産であるから。神は私たちに自ら全体を贈ったのである。
神とは誰であろうか?
神は、霊、力、流れる生命である。神は、私たちに浸透してゆく光である。神は、霊的な形、すなわち永遠の父という形をとった。神は一つの霊的存在である。私たちが純粋な「神による存在」の中で霊的存在であるのと同じように。神はしかし、自らの輝きの中において凌駕されることはない。つまり、神は流れるエネルギーなのである。それに対して、永遠の父は一つの存在である。私たちが神聖な「神による存在」の中で神聖な存在であるのと同じように。
私たちが再びあらゆる宇宙の光をくまなく浴びた時に初めて、私たちは海なる神の中の一滴として生きることになり、私たちの父なる神と再び一つになり、神の似姿になるのである。
ガブリエレ